JNRの結婚後ブログ

PAでの婚活の記録と結婚後の生活、雑記

復帰までの道のり3

個人心理学(アドラー心理学)でもう一つ参考になったことがあります。

それは課題の分離という考え方です。

 

自分のやるべきことに集中し、他人のやるべきことは切り捨てる。

そして、自分のことに他人を介入させないし、他人のことに介入もしない。

 

これも以前は、自分がコントロールできないことは考えない、という似たような考え方を取り入れていたのですが、課題の分離で自分と他人を線引きし、自分のミッションに集中するという点で考え方が明確になりました。

自分がコントロールできないことは考えない、では他者との関係性が明確でないので、実際の行動で結構ブレがあったように思います。

何か納得いかないことがあっても、むりやり自分に言い聞かせるような、そんなどこか無理をしているような感覚です。

 

課題の分離を理解すれば、過去の仕事に引き摺られることもなかっただろうし、断固として協力要請(という名目の吊し上げ)など自分の課題ではないと、受け入れなかっただろうと思わざるを得ません。

自分に本当の自信がないから、過去の仕事の実績に依存していたのですね。

頼られる自分でありたいという承認欲求に飲まれていたわけです。

しかしながら、他人からの承認などいくらあっても常に不満しか残りませんし、際限なく求めていくことになります。

改めて考えると、何をそんなに他人に承認など求めていたのか、気持ち悪くて仕方がない気分でした。

 

自分が何をしようが(反社会的行為でない限り)他人には関係ないし、それにいちいち承認など必要ない。 

これを知らず知らずのうちに投げてしまうと、自分の人生ではなく、他人の人生を生きるハメになります。

特にこの数年間は仕事面で決断力を失い、他人に流されるまま困難な状況に陥り、最終的にダウンしましたが、それも課題の分離を上辺だけしか理解していなかったから起きたことだと思っています。

自分でコントロールできないことは考えない、では周りに流されるような状況になった時に抵抗できないんですね。

流されることの言い訳として都合よく機能してしまうわけです。

 

 

自分の時間を生きていないというのは、改めて考えるとかなり辛いものがありました。

職場の状況は明らかに自分に合っていないし、やめたくて仕方がないのに、なぜか周りからの期待とか、仕事上の求められる役割に拘泥し、身動きが取れなくなってしまいます。

嫌なら上に掛け合うなり、幼稚ですが無断欠勤で意思表示でもするか、それも無理ならさっさと辞めるなりすればよかったわけです(そんな簡単に辞められないとか、そういう話は本題ではないのでおいておきます)。

どうせ仕事なんて自分がいなくても、いざとなれば誰かがなんとかします。

少なくとも自分を犠牲にしてまでやるようなことではない、そのはずです。

 

なにより自分が本心で嫌々なのに、それを無視して仕方なくやるというのはエネルギーを浪費して本当に消耗します。

役割を理解して、割り切って演じるのとは全く違います。

こんな状況になると、自分で気が付いて止めるのはかなり難しいでしょうね。

 

自分の考えを押さえつけているので、自分で何をしたらいいかも分からなくなり、主体性も薄れます。

正直遅かれ早かれ、どこかの時点で破綻せざるをえないやり方を無理やり続けてきた、と思わざるを得ませんでした。

それがたまたま今回起きたということになります。